1980ページ
(372)
窪尼御前御返事(金と蓮の事)
建治・弘安期 窪尼
あまざけ一おけ、やまのいも・ところしょうしょう、給び了わんぬ。
梵網経と申す経には、一紙一草と申して、かみ一枚・くさひとつ。大論と申すろんには、つちのもちいを仏にくようせるもの、閻浮提の王となるよし、とかれかかれて候。
これは、それにはにるべくもなし。そのうえ、おとこにもすぎわかれ、たのむかたもなきあまの、するがの国西山と申すところより、甲斐国はきいの山の中におくられたり。
人にすてられたるひじりの、寒にせめられて、いかに心ぐるしかるらんとおもいやらせ給いておくられたるか。父母におくれしよりこのかた、かかるねんごろのことにあいて候ことこそ候わね。せめての御心ざしに給うかとおぼえて、なみだもかきあえ候わぬぞ。
日蓮はわるき者にて候えども、法華経はいかでかおろかにおわすべき。ふくろはくさけれども、つつめる金はきよし。池はきたなけれども、はちすはしょうじょうなり。日蓮は日本第一のえせものなり。法華経は一切経にすぐれ給える御経なり。心あらん人は、金をとらんとおぼさばふくろをすつることなかれ、蓮をあいせば池をにくむことなかれ。わるくて仏になりたらば、法華経の力あらわるべ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(372)窪尼御前御返事(金と蓮の事) | 建治・弘安期 | 窪尼 |