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持妙尼御前御返事
建治2年(ʼ76)11月2日 55歳 窪尼
御そうぜんりょう、送り給び候い了わんぬ。
すでに故入道殿のかくるる日にておわしけるか。とこうまぎれ候いけるほどに、うちわすれて候いけるなり。よも、それにはわすれ給わじ。
蘇武と申せしつわものは、漢王の御使いに胡国と申す国に入って十九年、めもおとこをはなれ、おとこもわするることなし。あまりのこいしさに、おとこの衣を秋ごとにきぬたのうえにうちけるが、おもいやとおりてゆきにけん、おとこのみみにきこえたり。
ちんしといいしものは、めおとこはなれけるに、かがみをわりて、ひとつずつとりにけり。わするる時は、とりとび去りけり。
そうしといいしものは、おとこをこいて、はかにいたりて木となりぬ。相思樹と申すはこの木なり。大唐へわたるに、しかの明神と申す神おわす。おとこのもろこしへゆきしをこいて神となれり。しまのすがた、おうなににたり。まつらさよひめという、これなり。
いにしえよりいまにいたるまで、おやこのわかれ、主従のわかれ、いずれかつらからざる。されど
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(364)持妙尼御前御返事 | 建治2年(’76)11月2日 | 55歳 | 窪尼 |