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引くべからず。慈覚大師の御釈を仰いで信じて候なり。
問うて云わく、いかにと信ぜらるるや。
答えて云わく、この夢の根源は、真言は法華経に勝ると造り定めての御ゆめなり。この夢吉夢ならば、慈覚大師の合わせさせ給うがごとく真言勝るべし。ただし、日輪を射るとゆめにみたるは、吉夢なりというべきか。内典五千・七千余巻、外典三千余巻の中に、日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけたまわるべし。
少々これより出だし申さん。阿闍世王は天より月落つとゆめにみて、耆婆大臣に合わせさせ給いしかば、大臣合わせて云わく「仏の御入滅なり」。須抜多羅、天より日落つとゆめにみる。我とあわせて云わく「仏の御入滅なり」。修羅は帝釈と合戦の時、まず日月をいたてまつる。夏の桀・殷の紂と申せし悪王は、常に日をいて身をほろぼし国をやぶる。摩耶夫人は、日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う。かるがゆえに仏のわらわなをば日種という。日本国と申すは、天照太神の日天にしてましますゆえなり。されば、このゆめは天照太神・伝教大師・釈迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ。日蓮は愚癡の者なれば経論もしらず。ただ「この夢をもって法華経に真言すぐれたりと申す人は、今生には国をほろぼし家を失い、後生にはあび地獄に入るべし」とはしりて候。
今、現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行い候えば、日本かちて候ならば、真言はいみじかりけりとおもい候いなん。ただし、承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |