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月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわめさせ給える上、二経の疏をつくり了わんぬ。重ねて本尊に祈請をなすに、智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちおどろかせ給い、歓喜のあまりに仁明天皇に宣旨を申しそえさせ給い、天台座主を真言の官主となし、真言の鎮護国家の三部とて、今に四百余年が間、碩学稲麻のごとし。渇仰竹葦に同じ。されば、桓武・伝教等の日本国建立の寺塔は、一宇もなく真言の寺となりぬ。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあおぎ、官をなし、寺をあずけたぶ。仏事の木画の開眼供養は、八宗一同に大日仏眼の印・真言なり。
疑って云わく、法華経を真言に勝ると申す人は、この釈をばいかんがせん。用いるべきか、またすつべきか。
答う。仏の未来を定めて云わく「法に依って人に依らざれ」。竜樹菩薩云わく「修多羅に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり」。天台云わく「また修多羅と合わば、録してこれを用いる。文無く義無ければ信受すべからず」。伝教大師云わく「仏説に依憑せよ。口伝を信ずることなかれ」等云々。これらの経・論・釈のごときんば、夢を本にはすべからず。ただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経・論の文こそたいせちに候わめ。
ただし、印・真言なくば木画の像の開眼のこと、これまたおこのことなり。真言のなかりし已前には、木画の開眼はなかりしか。天竺・漢土・日本には真言宗已前の木画の像は、あるいは行き、あるいは説法し、あるいは御物言いあり。印・真言をもって仏を供養せしよりこのかた、利生もかたがた失せたるなり。これは常の論談の義なり。この一事においては、ただし、日蓮は分明の証拠を余所に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |