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しかれば、代のおさまらんことは、大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有って、仙予国王のごとくなる賢王とよりあいて、一向に善根をとどめ、大悪をもって、八宗の智人とおもうものを、あるいはせめ、あるいはながし、あるいはせをとどめ、あるいは頭をはねてこそ、代はすこしおさまるべきにて候え。
法華経の第一の巻の「諸法実相」乃至「ただ仏と仏とのみ、いまし能く究尽したまえり」ととかれて候はこれなり。「本末究竟」と申すは、「本」とは悪のね善の根、「末」と申すは悪のおわり善の終わりぞかし。善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり。
天台云わく「夫れ、一心に十法界を具す」等云々。章安云わく「仏これをもって大事となす。何ぞ解し易きことを得べけんや」。妙楽云わく「乃ちこれ終窮究竟の極説なり」等云々。法華経に云わく「皆実相と相違背せず」等云々。天台これを承けて云わく「一切世間の治生産業は、皆実相と相違背せず」等云々。
智者とは、世間の法より外に仏法を行わず。世間の治世の法を能く能く心えて候を、智者とは申すなり。
殷の代の濁って民のわずらいしを、太公望出世して殷の紂が頸を切って民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがかりし、張良出でて代をおさめ民の口をあまくせし、これらは、仏法已前なれども、教主釈尊の御使いとして民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼らの人々の智慧は、内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(363)減劫御書 | 建治元年(’75)末または同2年(’76) | 54歳または55歳 | 高橋六郎兵衛の縁者 |