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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

慧、世間をおさむるに、代おさまることなし。その時、大乗経をひろめて代をおさめしかば、すこし代おさまりぬ。その後、大乗経の智慧及ばざりしかば、一乗経の智慧をとりいだして代をおさめしかば、すこししばらく代おさまりぬ。
 今の代は、外経も小乗経も大乗経も一乗法華経等も、かなわぬよとなれり。ゆえいかんとなれば、衆生の貪・瞋・癡の心のかしこきこと、大覚世尊の大善にかしこきがごとし。譬えば、犬は鼻のかしこきこと人にすぎたり。また鼻の禽獣をかぐことは、大聖の鼻通にもおとらず。ふくろうがみみのかしこき、とびの眼のかしこき、すずめの舌のかろき、りゅうの身のかしこき、皆かしこき人にもすぐれて候。そのように、末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚癡のかしこさは、いかなる賢人・聖人も治めがたきことなり。
 その故は、貪欲をば、仏、不浄観の薬をもって治し、瞋恚をば慈悲観をもって治し、愚癡をば十二因縁観をもってこそ治し給うに、いまはこの法門をといて、人をおとして、貪欲・瞋恚・愚癡をますなり。
 譬えば、火をば水をもってけす。悪をば善をもって打つ。しかるに、かえりて水より出でぬる火をば、水をかくれば、あぶらになりていよいよ大火となるなり。
 今、末代悪世に、世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり。これをばしらずして、今の人々善根をすすれば、いよいよ代のほろぶること出来せり。今の代の天台・真言等の諸宗の僧等をやしなうは、外は善根とこそ見ゆれども、内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり。