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経を信ずる人となれりと見えて候。これをば、天台の御釈に云わく「人の地に倒れて、還って地より起くるがごとし」等云々。地にたおれたる人は、かえりて地よりおく。法華経謗法の人は、三悪ならびに人天の地にはたおれ候えども、かえりて法華経の御手にかかりて仏になるとことわられて候。
しかるに、この上野七郎次郎は、末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども、心は善人なり。その故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給わざる上、たまたま信ずる人あれば、あるいは所領、あるいは田畠等にわずらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり、信じがたき上、はは・故上野信じまいらせ候いぬ。
またこの者嫡子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるいはいさめ、あるいはおどし候いつるに、ついに捨つる心なくて候えば、すでに仏になるべしと見え候えば、天魔・外道が病をつけておどさんと心み候か。命はかぎりあることなり。すこしもおどろくことなかれ。
また鬼神めらめ、この人をなやますは、剣をさかさまにのむか、また大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこ、あなかしこ。この人のやまいをたちまちになおして、かえりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。その義なくして、現在には「頭七分に破る」の科に行われ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ、永くとどめよ。日蓮が言をいやしみて、後悔あるべし、後悔あるべし。
弘安五年二月二十八日
伯耆房に下す。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(345)法華証明抄 | 弘安5年(’82)2月28日 | 61歳 | 南条時光 |