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まことや、まことや、去年の九月五日、こ五郎殿のかくれにしはいかになりけると胸うちさわぎて、ゆびをおりかずえ候えば、すでに二箇年十六月四百余日にすぎ候か。それには母なれば御おとずれや候らん。いかにきかせ給わぬやらん。
ふりし雪もまたふれり。ちりし花もまたさきて候いき。無常ばかり、またもかえりきこえ候わざりけるか。あらうらめし、あらうらめし。余所にても、「よきかんざかな、よきかんざかな。玉のようなる男かな、男かな。いくせ、おやのうれしくおぼすらん」とみ候いしに、満月に雲のかかれるが、はれずして山へ入り、さかんなる花のあやなくかぜにちるがごとしと、あさましくこそおぼえ候え。
日蓮は所ろうのゆえに人々の御文の御返事も申さず候いつるが、このことはあまりになげかしく候えば、ふでをとりて候ぞ。これも、よもひさしくもこのよに候わじ。一定、五郎殿にゆきあいぬとおぼえ候。母よりさきにげんざんし候わば、母のなげき申しつたえ候わん。事々またまた申すべし。恐々謹言。
十二月八日 日蓮 花押
上野殿母御前御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(342)上野殿母御前御返事(大聖人の御病の事) | 弘安4年(’81)12月8日 | 60歳 | 上野尼 |