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す子にたすけられて、餓鬼道を出で候いぬ。されば、子を財と申す経文たがうことなし。
故五郎殿は、とし十六歳。心ね、みめかたち、人にすぐれて候いし上、男ののうそなわりて、万人にほめられ候いしのみならず、おやの心に随うこと、水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いえにてははしらとたのみ、道にてはつえとおもいき。はこのたからもこの子のため、つかう所従もこれがため、「我しなば、になわれてのぼへゆきなん。のちのあと、おもいおくことなし」とふかくおぼしめしたりしに、いやなくさきにたちぬれば、「いかんにや、いかんにや。ゆめかまぼろしか。さめなん、さめなん」とおもえどもさめずして、としもまたかえりぬ。いつとまつべしともおぼえず。ゆきあうべきところだにも申しおきたらば、はねなくとも天へものぼりなん、ふねなくとももろこしへもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をもほらざるべきとおぼしめすらん。
やすやすとあわせ給うべきこと候。釈迦仏を御使いとして、りょうぜん浄土へまいりあわせ給え。「もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん」と申して、大地はささばはずるとも、日月は地に堕ち給うとも、しおはみちひぬ世はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、おもう子にあわずということはなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎつとめさせ給え、つとめさせ給え。恐々謹言。
正月十三日 日蓮 花押
上野尼御前御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(338)上野尼御前御返事(霊山再会の事) | 弘安4年(’81)1月13日 | 60歳 | 上野尼 |