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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(338)

上野尼御前御返事(霊山再会の事)

 弘安4年(ʼ81)1月13日 60歳 上野尼

 聖人ひとつつひさげ十か・十字百・飴ひとおけ二升か・柑子ひとこ・串柿十くし、ならびにくり給び候い了わんぬ。
 春のはじめ、御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみたせ給うべきよし、うけたまわり了わんぬ。
 そもそも、故五ろうどのの御事こそおもいいでられて候え。ちりし花もさかんとす、かれしくさもねぐみぬ、故五郎殿もいかでかかえらせ給わざるべき。あわれ、無常の花とくさとのようならば、人丸にはあらずとも花のもともはなれじ、いはうるこまにあらずとも草のもとをばよもさらじ。
 経文には、子をばかたきととかれて候。それもゆわれ候か。梟と申すとりは母をくらう。破鏡と申すけだものは父をがいす。あんろく山と申せし人は史思明と申す子にころされぬ。義朝と申せしつわものは為義と申すちちをころす。子はかたきと申す経文、ゆわれて候。
 また、子は財と申す経文あり。妙荘厳王は、一期の後、無間大城と申す地獄へ堕ちさせ給うべかりしが、浄蔵と申せし太子にすくわれて、大地獄の苦をまぬかれさせ給うのみならず、娑羅樹王仏と申す仏とならせ給う。青提女と申せし女人は、慳貪のとがによって餓鬼道に堕ちて候いしが、目連と申