1919ページ
皆食にあきみちて、一国の万民、せちなのほどに命よみがえり候いけり。
月氏国にす達長者と申せし者は、七度貧になり七度長者となりて候いしが、最後の貧の時は、万民皆にげうせ死におわりて、ただめおとこ二人にて候いし時、五升の米あり。五日のかってとあて候いし時、迦葉・舎利弗・阿難・羅睺羅・釈迦仏の五人、次第に入らせ給いて、五升の米をこいとらせ給いき。その日より五天竺第一の長者となりて祇園精舎をばつくりて候ぞ。これをもって、よろずを心えさせ給え。
貴辺はすでに法華経の行者に似させ給えること、さるの人に似、もちいの月に似たるがごとし。あつはらのものどもかかえおしませ給えることは、承平の将門、天喜の貞任のようにこの国のものどもはおもいて候ぞ。これひとえに法華経に命をすつるゆえなり。まったく主君にそむく人とは、天、御覧あらじ。
その上、わずかの小郷におおくの公事せめあてられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども、法華経の行者の山中の雪にせめられ、食ともしかるらんとおもいやらせ給いて、ぜに一貫おくらせ給えるは、貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたえ、りたが合子の中なりしひえを辟支仏にあたえたりしがごとし。とうとし、とうとし。くわしくは、またまた申すべし。恐々謹言。
弘安三年十二月二十七日 日蓮 花押
上野殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(337)上野殿御返事(須達長者御書) | 弘安3年(’80)12月27日 | 59歳 | 南条時光 |