1903ページ
(332)
上野殿御書(七郎五郎死去の事)
弘安3年(ʼ80)9月6日 59歳 南条時光
南条七郎五郎殿の御死去の御事、人は生まれて死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知って候えば、始めてなげくべしおどろくべしとはおぼえぬよし、我も存じ、人にもおしえ候えども、時にあたりて、ゆめかまぼろしか、いまだわきまえがたく候。まして、母のいかんがなげかれ候らん。
父母にも兄弟にもおくれはてて、いとおしきおとこにすぎわかれたりしかども、子どもあまたおわしませば、心なぐさみてこそおわしつらん。いとおしきてこご、しかもおのこご。みめかたちも人にすぐれ、心もかいがいしくみえしかば、よその人々もすずしくこそみ候いしに、あやなく、つぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失せたるがごとくこそおぼすらめ。まことともおぼえ候わねば、かきつくるそらもおぼえ候わず。またまた申すべし。恐々謹言。
弘安三年九月六日 日蓮 花押
上野殿御返事
追って申す。
この六月十五日に見奉り候いしに、「あわれ、肝ある者かな。男や、男や」と見候いしに、また
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(332)上野殿御書(七郎五郎死去の事) | 弘安3年(’80)9月6日 | 59歳 | 南条時光 |