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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(327)

上野殿御返事(適時弘法の事)

 弘安2年(ʼ79)12月27日 58歳 南条時光

 白米一だ、おくり給び了わんぬ。一切のことは時によることに候か。春は花、秋は月と申すことも時なり。仏も世にいでさせ給いしことは法華経のためにて候いしかども、四十余年はとかせ給わず。その故を経文にとかれて候には、「説時のいまだ至らざるが故なり」等と云々。なつ、あつわたのこそで、冬、かたびらをたびて候は、うれしきことなれども、ふゆのこそで、なつのかたびらにはすぎず。うえて候時のこがね、かっせる時のごりょうは、うれしきことなれども、はんと水とにはすぎず。仏に土をまいらせて候人、仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すこと、これか。
 日蓮は、日本国に生まれて、わわくせずぬすみせず、かたがたのとがなし。末代の法師にはとがうすき身なれども、文をこのむ王に武のすてられ、いろをこのむ人に正直もののにくまるるがごとく、念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値って法華経をひろむれば、王臣・万民ににくまれて、結句は山中に候えば、天いかんが計らわせ給うらん。
 五尺のゆきふりて、本よりもかよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすくてかんふせぎがたし。食たえて命すでにおわりなんとす。かかるきざみに、いのちさまたげの御とぶらい、かつは