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と申せし者、将門を打ってありしかども、昇でんをゆるされず。その子・正盛またかなわず。その子・忠盛が時、始めて昇でんをゆるさる。その後、清盛・重盛等、てんじょうにあそぶのみならず、月をうみ、日をいだくみとなりにき。仏になるみち、これにおとるべからず。いおの竜門をのぼり、地下の者のてんじょうへまいるがごとし。
身子と申せし人は、仏にならんとて六十劫が間菩薩の行をみてしかども、こらえかねて二乗の道に入りにき。大通結縁の者は三千塵点劫、久遠下種の人の五百塵点劫、生死にしずみし。これらは法華経を行ぜしほどに、第六天の魔王、国主等の身に入って、とこうわずらわせしかば、たいしてすてしゆえに、そこばくの劫に六道にはめぐりしぞかし。かれは人の上とこそみしかども、今は我らがみにかかれり。
願わくは、我が弟子等、大願をおこせ。去年・去々年のやくびょうに死にし人々のかずにも入らず、また当時、蒙古のせめにまぬかるべしともみえず。とにかくに死は一定なり。その時のなげきはとうじのごとし。おなじくは、かりにも法華経のゆえに命をすてよ。つゆを大海にあつらえ、ちりを大地にうずむとおもえ。法華経の第三に云わく「願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と、皆共に仏道を成ぜん」云々。恐々謹言。
十一月六日 日蓮 花押
上野賢人殿御返事
これは、あつわらのことのありがたさに申す御返事なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(326)上野殿御返事(竜門御書) | 弘安2年(’79)11月6日 | 58歳 | 南条時光 |