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なきなり。日蓮は二度あいぬ。杖の難には、すでにしょうぼうにつらをうたれしかども、第五の巻をもってうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云う経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり。されば、しょうぼうに日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には、法華経の故とはおもえども、いまだ凡夫なれば、うたてかりけるあいだ、つえをもうばい、ちからあるならばふみおりすつべきことぞかし。しかれども、つえは法華経の五の巻にてまします。
いまおもいいでたることあり。子を思う故にや、おや、つきの木の弓をもって学文せざりし子におしえたり。しかるあいだ、この子、うたてかりしは父、にくかりしはつきの木の弓。されども、終には修学増進して自身得脱をきわめ、また人を利益する身となり、立ち還って見れば、つきの木をもって我をうちし故なり。この子、そとばにこの木をつくり、父の供養のためにたててむけりと見えたり。
日蓮もまた、かくのごとくあるべきか。日蓮、仏果をえんに、いかでかしょうぼうが恩をすつべきや。いかにいわんや、法華経の御恩の杖をや。かくのごとく思いつづけ候えば、感涙おさえがたし。
また、涌出品は、日蓮がためにはすこしよしみある品なり。その故は、上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見えたり。しかるに、まず日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかぼるべしと思えば、たのもしきことなり。
とにかくに、法華経に身をまかせ信ぜさせ給え。殿一人にかぎるべからず、信心をすすめ給いて、過去の父母等をすくわせ給え。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(324)上野殿御返事(刀杖難の事) | 弘安2年(’79)4月20日 | 58歳 | 南条時光 |