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多けれども、仏と成る道にはあらず。戒は持てども、浄土へまいる種とは成らず。ただ南無妙法蓮華経の七字のみこそ、仏になる種には候え。
これを申せば人はそねみて用いざりしを、故上野殿、信じ給いしによりて仏に成らせ給いぬ。各々はその末にて、この御志をとげ給うか。竜馬につきぬるだには千里をとぶ、松にかかれるつたは千尋をよずと申すは、これか。各々、主の御心なり。
つちのもちいを仏に供養せし人は王となりき。法華経は仏にまさらせ給う法なれば、供養せさせ給いて、いかでか今生にも利生にあずかり、後生にも仏にならせ給わざるべき。その上、みひんにして、げにんなし。山河わずらいあり。たとい心ざしありともあらわしがたきに、いまいろをあらわさせ給うにしりぬ、おぼろけならぬことなり。さだめて法華経の十羅刹まぼらせ給いぬらんと、たのもしくこそ候え。事つくしがたし。恐々謹言。
十一月一日 日蓮 花押
九郎太郎殿御返事
これにつけても、こうえのどののことこそ、おもいいでられ候え。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(322)九郎太郎殿御返事(題目仏種の事) | 弘安元年(’78)11月1日* | 九郎太郎〈南条殿の縁者〉 |