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九郎太郎殿御返事(題目仏種の事)
弘安元年(ʼ78)11月1日* 九郎太郎〈南条殿の縁者〉
いも一駄・くり・やきごめ・はじかみ、給び候いぬ。
さては、ふかき山には、いもつくる人もなし。くりもならず、はじかみもおいず、ましてやきごめみえ候わず。たといくりなりたりとも、さるのこすべからず。いえのいもはつくる人なし。たといつくりたりとも、人にくみてたび候わず。いかにしてか、かかるたかき山へはきたり候べき。
それ、山をみ候えば、たかきよりしだいにしもへくだれり、うみをみ候えば、あそきよりしだいにふかし。代をみ候えば、三十年・二十年・十年・五年・四・三・二・一、次第におとろえたり。人の心もかくのごとし。これはよのすえになり候えば、山にはまがれるきのみとどまり、のにはひききくさのみおいたり。よにはかしこき人はすくなく、はかなきものはおおし。牛馬のちちをしらず、兎羊の母をわきまえざるがごとし。
仏御入滅ありては二千二百二十余年なり。代すえになりて、智人次第にかくれて、山のくだれるごとく、くさのひききににたり。念仏を申し、かいをたもちなんどする人はおおけれども、法華経をたのむ人すくなし。星は多けれども、大海をてらさず。草は多けれども、大内の柱とはならず。念仏は
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(322)九郎太郎殿御返事(題目仏種の事) | 弘安元年(’78)11月1日* | 九郎太郎〈南条殿の縁者〉 |