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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(322)

九郎太郎殿御返事(題目仏種の事)

 弘安元年(ʼ78)11月1日* 九郎太郎〈南条殿の縁者〉

 いも一駄・くり・やきごめ・はじかみ、給び候いぬ。
 さては、ふかき山には、いもつくる人もなし。くりもならず、はじかみもおいず、ましてやきごめみえ候わず。たといくりなりたりとも、さるのこすべからず。いえのいもはつくる人なし。たといつくりたりとも、人にくみてたび候わず。いかにしてか、かかるたかき山へはきたり候べき。
 それ、山をみ候えば、たかきよりしだいにしもへくだれり、うみをみ候えば、あそきよりしだいにふかし。代をみ候えば、三十年・二十年・十年・五年・四・三・二・一、次第におとろえたり。人の心もかくのごとし。これはよのすえになり候えば、山にはまがれるきのみとどまり、のにはひききくさのみおいたり。よにはかしこき人はすくなく、はかなきものはおおし。牛馬のちちをしらず、兎羊の母をわきまえざるがごとし。
 仏御入滅ありては二千二百二十余年なり。代すえになりて、智人次第にかくれて、山のくだれるごとく、くさのひききににたり。念仏を申し、かいをたもちなんどする人はおおけれども、法華経をたのむ人すくなし。星は多けれども、大海をてらさず。草は多けれども、大内の柱とはならず。念仏は