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かる国主の内にある人々なれば、たとい心ざしあるらん人々もとうことなし。このこと事ふりぬ。なかにも今年は、疫病と申し、飢渇と申し、といくる人々もすくなし。たといやまいなくとも、飢えて死ぬことうたがいなかるべきに、麦の御とぶらい、金にもすぎ、珠にもこえたり。彼のりたがひえは、変じて金人となる。この時光が麦、何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。この法華経の文字は釈迦仏となり給い、時光が故親父の左右の御羽となりて、霊山浄土へとび給え、かけり給え、かえりて時光が身をおおい、はぐくみ給え。恐々謹言。
弘安元年七月八日 日蓮 花押
上野殿御返事
(320)
上野殿御返事(塩一駄供養の事)
弘安元年(ʼ78)9月19日 57歳 南条時光
塩一駄・はじかみ、送り給び候。
金多くして日本国の沙のごとくならば、誰かたからとしてはこのそこにおさむべき。餅多くして一閻浮提の大地のごとくならば、誰か米の恩をおもくせん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(319)時光御返事 | 弘安元年(’78)7月8日 | 57歳 | 南条時光 |
(320)上野殿御返事(塩一駄供養の事) | 弘安元年(’78)9月19日 | 57歳 | 南条時光 |