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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ぎけるが、また、ひえをつくり食とするほどに、飢えたる世なればものもなし。ただ、ひえのはん一つありけるをくいければ、りたと申す辟支仏の聖人来って云わく「我、七日の間食なし。汝が食いものえさせよ」とこわせ給いしかば、「きたなき俗のごきに入れてけがしはじめて候」と申しければ、「ただえさせよ。今食せずば死ぬべし」と云う。おそれながらまいらせつ。この聖人まいり給いしが、ただひえ一つびをなりのこしてりょうしにかえし給いき。ひえへんじていのことなる。いのこ変じて金となる。金変じて死人となる。死人変じてまた金人となる。指をぬいて売れば本のごとし。かくのごとく、九十一劫、長者と生まれ、今はあなりちと申して仏の御弟子なり。わずかのひえなれども、飢えたる国に智者の御いのちをつぐゆえに、めでたきほうをう。
 迦葉尊者と申せし人は、仏の御弟子の中には第一にたっとき人なり。この人の家をたずぬれば、摩かだい国の尼くりだ長者の子なり。宅にたたみ千じょう。一じょうはあつさ七尺、下品のたたみは金千両なり。からすき九百九十九、一つのからすきは金千両。金三百四十石入れたるくら六十。かかる大長者なり。めはまた、身は金色にして十六里をてらす。日本国の衣通姫にもすぎ、漢土のりふじんにもこえたり。この夫婦、道心を発して仏の御弟子となれり。法華経にては光明如来といわれさせ給う。この二人の人々の過去をたずぬれば、麦の飯を辟支仏に供養せしゆえに迦葉尊者と生まる、金のぜに一枚を仏師にあつらえて毘婆尸仏の像の御はくにひきし貧人は、この人のめとなれり。
 今、日蓮は、聖人にはあらざれども、法華経に名をたてり。国主ににくまれて我が身をせく上、弟子・かよう人をも、あるいはのり、あるいはうち、あるいは所領をとり、あるいはところをおう。か