きようもなかりければ、善無畏、一行をうちぬいて云わく「わ僧は漢土にはこざかしき者にてありけり。天台宗は神妙の宗なり。今、真言宗の天台宗にかさむところは、印と真言とばかりなり」といいければ、一行さもやとおもいければ、善無畏三蔵、一行にかたって云わく「天台大師の法華経に疏をつくらせ給えるごとく、大日経の疏を造って真言を弘通せんとおもう。汝かきなんや」といいければ、一行が云わく「やすう候。ただし、いかようにかき候べきぞ。天台宗はにくき宗なり。諸宗は我も我もとあらそいをなせども、一切に叶わざること一つあり。いわゆる法華経の序分に無量義経と申す経をもって前四十余年の経々をばその門を打ちふさぎ候いぬ。法華経の法師品・神力品をもって後の経々をばまたふせがせぬ。肩をならぶ経々をば今説の文をもってせめ候。大日経をば三説の中にはいずくにかおき候べき」と問いければ、その時に善無畏三蔵、大いに巧んで云わく「大日経に住心品という品あり。無量義経の四十余年の経々を打ちはらうがごとし。大日経の入曼陀羅已下の諸品は、漢土にては法華経・大日経とて二本なれども、天竺にては一経のごとし。釈迦仏は舎利弗・弥勒に向かって大日経を法華経となづけて印と真言とをすててただ理ばかりをとけるを、羅什三蔵これをわたす。天台大師これを見る。大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩埵に向かってとかせ給う。これを大日経となづく。我、まのあたり天竺にしてこれを見る。されば、汝がかくべきようは、大日経と法華経とをば水と乳とのように一味となすべし。もししからば、大日経は已今当の三説をば皆法華経のごとくうちおとすべし。さて印と真言とは、心法の一念三千に荘厳するならば、三密相応の秘法なるべし。三密相応するほどならば、天台宗は意密なり。真言は甲なる将軍の甲鎧を帯して弓箭を横
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |