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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 かかる御経に一華一香をも供養する人は、過去に十万億の仏を供養する人なり。また釈迦如来の末法に、世のみだれたらん時、王臣・万民、心を一にして一人の法華経の行者をあだまん時、この行者、かんばちの少水に魚のすみ、万人にかこまれたる鹿のごとくならん時、一人ありてとぶらわん人は、生身の教主釈尊を、一劫が間、三業相応して供養しまいらせたらんよりなお功徳すぐるべきよし、如来の金言分明なり。日は赫々たり、月は明々たり。法華経の文字は、かくかくめいめいたり、めいめいかくかくたり。あきらかなる鏡にかおをうかべ、すめる水に月のうかべるがごとし。
 しかるに、「また現世において、その福報を得ん」の勅宣、「当に現世において現の果報を得べし」の鳳詔、南条七郎次郎殿にかぎりてむなしかるべしや。日は西よりいずる世、月は地よりなる時なりとも、仏の言むなしからじとこそ定めさせ給いしか。これをもっておもうに、慈父・過去の聖霊は、教主釈尊の御前にわたらせ給い、だんなはまた、現世に大果報をまねかんこと、疑いあるべからず。こうじん、こうじん。
  建治二年正月十九日    日蓮 花押
 南条殿御返事