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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(306)

南条殿御返事(現世果報の事)

 建治2年(ʼ76)1月19日 55歳 南条時光

 はるのはじめの御つかい、自他申しこめまいらせ候。さては、給わるところのすずの物のこと、もちい七十まい・さけひとつつ・いもいちだ・河のりひとかみぶくろ・だいこんふたつ・やまのいも七ほん等なり。
 ねんごろの御心ざしは、しなじなのものにあらわれ候いぬ。法華経の第八の巻に云わく「願うところは虚しからじ。また現世において、その福報を得ん」。また云わく「当に現世において現の果報を得べし」等云々。天台大師云わく「天子の一言虚しからず」。また云わく「法王虚しからず」等云々。
 賢王となりぬれば、たとい身をほろぼせどもそら事せず。いおうや、釈迦如来は、普明王とおわせし時は、はんそく王のたてへ入らせ給いき。不妄語戒を持たせ給いしゆえなり。かり王とおわせし時は、「実語少なき人と大妄語とは地獄に入る」とこそおおせありしか。いおうや、法華経と申すは、仏我と「要ず当に真実を説きたもうべし」となのらせ給いし上、多宝仏・十方の諸仏あつまらせ給いて、日月・衆星のならばせ給うがごとくに候いしざせきなり。法華経にそら事あるならば、なに事をか人信ずべき。