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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(302)

南条殿御返事(白麦供養の事)

 建治元年(ʼ75)7月2日 54歳 南条時光

 白麦一俵・小白麦一俵・河のり五じょう、送り給び候い了わんぬ。
 仏の御弟子に阿那律尊者と申せし人は、おさなくしての御名をば如意と申す。如意と申すは、心のおもいのたからをふらししゆえなり。このよしを仏にといまいらせ給いしかば、昔うえたるよに、縁覚と申す聖人をひえのはんをもって供養しまいらせしゆえと答えさせ給う。
 迦葉尊者と申せし人は、仏についでも閻浮提第一の僧なり。俗にておわせし時は長者にて、くらを六十、そのくらに金を百四十こくずつ入れさせ給う。それより外のたから申すばかりなし。この人のせんじょうの御事を仏にといまいらせさせ給いしかば、むかしうえたるよに、むぎのはんを一ぱい供養したりしゆえに、忉利天に千反生まれて、今釈迦仏に値いまいらせ僧の中の第一とならせ給い、法華経にて光明如来と名をさずけられさせ給うと、天台大師、文句の第一にしるされて候。
 かれをもってこれをあんずるに、迦葉尊者の麦のはんはいみじくて光明如来とならせ給い、今のだんなの白麦はいやしくて仏にならず候べきか。在世の月は今も月、在世の花は今も花、むかしの功徳は今の功徳なり。その上、上一人より下万民までににくまれて山中にうえしにぬべき法華経の行者