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いえども、有つところを尽くし、および田勝れたるをもっての故に、故に勝れたる報いを得」と云々。釈の心は、かろきひえのはんなれども、これよりほかにはもたざりしを、とうとき人のうえておわせしにまいらせてありしゆえに、かかるめでたき人となれりと云々。
この身のぶさわは、石なんどはおおく候。されども、かかるものなし。その上、夏のころなれば、民のいとまも候わじ。また御造営と申し、さこそ候らんに、山里のことをおもいやらせ給いておくりたびて候。詮ずるところは、わがおやのわかれのおしさに、父の御ために、釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや。孝養の御心か。さることなくば、梵王・帝釈・日月・四天、その人の家をすみかとせんとちかわせ給いて候。いうにかいなきものなれども、約束と申すことはたがわぬことにて候に、さりとも、この人々は、いかでか仏前の御約束をばたがえさせ給うべき。
もしこのことまことになり候わば、わが大事とおもわん人々のせいし候。またおおきなる難来るべし。その時「すでに、このことかなうべきにや」とおぼしめして、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば、聖霊、仏になり給うべし。成り給うならば、来ってまぼり給うべし。その時、一切は心にまかせんずるなり。かえすがえす、人のせいしあらば、心にうれしくおぼすべし。恐々謹言。
五月三日 日蓮 花押
上野殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(301)上野殿御返事(大難必定の事) | 建治元年(’75)5月3日 | 54歳 | 南条時光 |