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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(301)

上野殿御返事(大難必定の事)

 建治元年(ʼ75)5月3日 54歳 南条時光

 さつきの二日、いものかしらいしのようにほされて候一駄、ふじのうえのよりみのぶの山へおくり給びて候。
 仏の御弟子にあなりちと申せし人は、天眼第一のあなりちとて、十人の御弟子のその一り、迦葉・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり。この人のゆらいをたずねみれば、師子頰王と申せし国王の第二の王子こくぼん王と申せし人の御子、釈迦如来のいとこにておわしましき。この人の御名三つ候。一には無貧、二には如意、三にはむりょうと申す。一々にふしぎのこと候。
 昔、うえたるよに、りたそんじゃと申せしとうとき辟支仏ありき。うえたるよに、七日、ときもならざりけるが、山里にりょうしの御器に入れて候いけるひえのはんをこいて、ならせ給う。このゆえに、このりょうし、現在に長者となり、のち九十一劫が間、人中・天上にたのしみをうけて、今最後にこくぼん王の太子とむまれさせ給う。金の御ごきにはんとこしなえにたえせず、あらかんとならせ給う。御眼に三千大千世界を一時に御らんありていみじくおわせしが、法華経第四の巻にして普明如来と成るべきよし、仏に仰せをかぼらせ給いき。妙楽大師、このことを釈して云わく「稗の飯軽しと