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なり。これをふびんとおぼして、山河をこえわたり、おくりたびて候御心ざしは、麦にはあらず金なり、金にはあらず法華経の文字なり。我らが眼にはむぎなり。十らせつには、このむぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ。
阿那律がひえのはんは、へんじてうさぎとなる。うさぎへんじて死人となる。死人へんじて金となる。指をぬきてうりしかば、またいできたりぬ。王のせめのありし時は死人となる。かくのごとくつきずして九十一劫なり。釈まなんと申せし人の、石をとりしかば金となりき。金ぞく王は、いさごをこ金となし給いき。
今のむぎは法華経のもんじなり。または女人の御ためにはかがみとなり、みのかざりとなるべし。男のためにはよろいとなり、かぶととなるべし。守護神となりて、弓箭の第一の名をとらるべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐々謹言。
七月二日 日蓮 花押
南条殿御返事
追って申す。このよの中は、いみじかりし時は何事かあるべきとみえしかども、当時はことにあぶなげにみえ候ぞ。いかなることありとも、なげかせ給うべからず。ふつとおもいきりて、そりょうなんどもたがうことあらば、いよいよ悦びとこそおもいて、うちうそぶきてこれへわたらせ給え。所地しらぬ人も、あまりにすぎ候ぞ。当時、つくしへむかいてなげく人々は、いかばかりとかおぼす。これは皆、日蓮をかみのあなずらせ給いしゆえなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(302)南条殿御返事(白麦供養の事) | 建治元年(’75)7月2日 | 54歳 | 南条時光 |