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き身に親にはやくおくれて、教訓をもうけたまわらざるらんと、御心のうちおしはかるこそ、なみだもとまり候わね。
そもそも、日蓮は、日本国をたすけんとふかくおもえども、日本国の上下万人一同に、国のほろぶべきゆえにや用いられざる上、度々あだをなさるれば、力およばず、山林にまじわり候いぬ。大蒙古国よりよせて候と申せば、申せしことを御用いあらばいかになんどあわれなり。皆人の当時のゆき・つしまのようにならせ給わんこと、おもいやり候えば、なみだもとまらず。
念仏宗と申すは亡国の悪法なり。このいくさには、大体、人々の自害をし候わんずるなり。
善導と申す愚癡の法師がひろめはじめて自害をして候ゆえに、念仏をよくよく申せば自害の心の出来し候ぞ。
禅宗と申す当時の持斎法師等は天魔の所為なり。「教外に別伝す」と申して、「神も仏もなし」なんど申す、ものぐるわしき悪法なり。
真言宗と申す宗は、本は下劣の経にて候いしを、誑惑して「法華経にも勝る」なんど申して、多くの人々、大師・僧正なんどになりて、日本国に大体充満して、上一人より頭をかたぶけたり。これが第一の邪事に候を、昔より今にいたるまで智人なし、ただ伝教大師と申せし人こそしりて候いしかども、くわしくもおおせられず。さては、日蓮、ほぼこのことをしれり。後白河の法皇の太政入道にせめられ給いし、隠岐法皇のかまくらにまけさせ給いしこと、みな真言の悪法のゆえなり。漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う。この悪法かまくらに下って、当時かまくらにはやる僧正・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(299)上野殿御返事(土餅供養の事) | 文永11年(’74)11月11日 | 53歳 | 南条時光 |