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ん。なにと申して候とも、御きねんかなわずば、言のみ有って実なく、花さいてこのみなからんか。いまも御らんぜよ。このこと叶わずば、今度、法華経にては仏になるまじきかと存じ候わん。叶って候わば、二人よりあいまいらせて、供養しはてまいらせ候わん。「神ならわすはねぎから」と申す。このこと叶わずば、法華経信じてなにかせん。事々またまた申すべく候。恐々謹言。
十一月二十五日 日蓮 花押
南部六郎殿
(288)
波木井殿御報
弘安5年(ʼ82)9月19日 61歳 波木井実長
畏み申し候。みちのほど、べち事候わで、いけがみまでつきて候。みちの間、山と申し、かわと申し、そこばく大事にて候いけるを、きゅうだちにす護せられまいらせ候いて、難もなく、これまでつきて候こと、おそれ入り候いながら、悦び存じ候。
さては、やがてかえりまいり候わんずる道にて候えども、所ろうのみにて候えば、不じょうなることも候わんずらん。さりながらも、日本国にそこばくもてあつこうて候みを、九年まで御きえ候いぬる
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(287)地引御書 | 弘安4年(’81)11月25日 | 60歳 | 波木井実長 |
(288)波木井殿御報 | 弘安5年(’82)9月19日 | 61歳 | 波木井実長 |