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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 ただし、日蓮法師に度々これを聞ける人々、なおこの大難に値っての後、これを捨つるか。貴辺はこれを聞きたもうこと、一・両度、一時二時か。しかりといえども、いまだ捨てたまわず御信心の由、これを聞く。ひとえに今生のことにあらじ。
 妙楽大師云わく「故に知んぬ、末代の一時に聞くことを得て、聞き已わって信を生ずることは、自ずからすべからく宿種なるべし」等云々。また云わく「運、像末に居し、この真文を矚る。妙因を植えたるにあらずんば、実に遇い難しとなす」等云々。法華経に云わく「過去に十万億の仏を供養せるの人、人間に生まれて、この法華を信ぜん」。また涅槃経に云わく「熙連一恒供養の人、この悪世に生まれて、この経を信ぜん」等云々〈取意〉。
 阿闍世王は、父を殺害し母を禁固せし悪人なり。しかりといえども、涅槃経の座に来って法華経を聴聞せしかば、現在の悪瘡を治するのみにあらず、四十年の寿命を延引したまい、結句は無根初住の仏記を得たり。
 提婆達多は、閻浮第一の一闡提の人、一代聖教に捨て置かれしかども、この経に値い奉って天王如来の記別を授与せらる。彼をもってこれを推するに、末代の悪人等の成仏・不成仏は、罪の軽重に依らず、ただこの経の信・不信に任すべきのみ。
 しかるに、貴辺は、武士の家の仁、昼夜殺生の悪人なり。家を捨てずしてこのところに至って、いかなる術をもってか三悪道を脱るべきか。能く能く思案有るべきか。
 法華経の心は、当位即妙・不改本位と申して、罪業を捨てずして仏道を成ずるなり。天台云わく