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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

二度遠流に当たる。当来の妙果、これを疑うべしや。
 如来の滅後に、四依の大士、正像に世に出でてこの経を弘通したもうの時にすら、なお留難多し。いわゆる、付法蔵第二十の提婆菩薩、第二十五の師子尊者等、あるいは命を断たれ、頸を伐り刎ねらる。第八の仏駄密多、第十三の竜樹菩薩等は、赤き旛を捧げ持って、七年・十二年、王の門前に立てり。竺の道生は蘇山に遠流され、法祖は害を加えられ、法道三蔵は面に火印を捺され、慧遠法師は呵責せられ、天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す。これらは、皆、当王の賢愚によって用取有るのみ。あえて仏意に叶わざるにあらず。正像なおもってかくのごとし。いかにいわんや末代に及ぶにおいてをや。既に法華経のために御勘気を蒙れば、幸いの中の幸いなり。瓦礫をもって金銀に易うとは、これなり。
 ただし、歎くらくは、仁王経に云わく「聖人去らん時は、七難必ず起こらん」等云々。七難とは、いわゆる大旱魃・大兵乱等これなり。最勝王経に云わく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿および風雨、皆、時をもって行われず」等云々。「悪人を愛す」とは、誰人ぞや。上に挙ぐるところの諸人なり。「善人を治罰す」とは、誰人ぞや。上に挙ぐるところの「しばしば擯出せられん」の者なり。「星宿」とは、この二十余年の天変地夭等これなり。経文のごとくんば、日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり。その上、御勘気已前にその由これを勘え出だす。いわゆる立正安国論これなり。誰かこれを疑わん。これをもって歎きとなす。
 ただし、滅後、今に二千二百二十二年なり。正法一千年には、竜樹・天親等、仏の使いとなって法