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この法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、めとなりなんどしてこそ信ぜさせ給うなれ。しかるに、御子もおわせず、ただおやばかりなり。「その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は、また御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。宿善とうとく候。
また、蒙古国の日本にみだれ入る時は、これへ御わたりあるべし。また子息なき人なれば、御としのすえにはこれへとおぼしめすべし。いずくも定めなし、仏になることこそついのすみかにては候えと、おもい切らせ給うべし。恐々謹言。
卯月十二日 日蓮 花押
こうの入道殿御返事
あまのりのかみぶくろ二つ・わかめ十じょう・こものかみぶくろ一つ・たこひとかしら。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(270)国府入道殿御返事 | 建治2年(’76)4月12日 | 55歳 | 国府入道夫妻 |