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大蒙古国より押し寄せて、壱岐・対馬のように、男をば打ち死し、女をば押し取り、京・鎌倉に打ち入って国主ならびに大臣・百官等を搦め取り、牛馬の前にけたて、つよく責めん時は、いかでか南無妙法蓮華経と唱えざるべき。
法華経の第五の巻をもって日蓮が面を数箇度打ちたりしは、日蓮は何とも思わず、うれしくぞ侍りし。不軽品のごとく身を責め、勧持品のごとく身に当たって貴し貴し。
ただし、法華経の行者を悪人に打たせじと仏前にして起請をかきたりし梵王・帝釈・日月・四天等、いかに口惜しかるらん。現身にも天罰をあたらざることは、小事ならざれば、始中終をくくりてその身を亡ぼすのみならず、議せらるるか。あえて日蓮が失にあらず。謗法の法師等をたすけんがために、彼らが大禍を自身に招きよせさせ給うか。
これらをもって思うに、便宜ごとの青鳧五連の御志は、日本国に法華経の題目を弘めさせ給う人に当たれり。国中の諸人、一人二人、乃至千万億の人、題目を唱うるならば、存外に功徳身にあつまらせ給うべし。その功徳は、大海の露をあつめ、須弥山の微塵をつむがごとし。殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓わせ給う。
これを推するに、妙密上人ならびに女房をば、母の一子を思うがごとく、犛牛の尾を愛するがごとく、昼夜にまぼらせ給うらん。たのもし、たのもし。
事多しといえども、委しく申すにいとまあらず。女房にも委しく申し給え。これは諂える言にはあらず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(251)妙密上人御消息 | 建治2年(’76)閏3月5日 | 55歳 | 妙密 |