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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(249)

桟敷女房御返事(無量無辺の功徳の事)

 建治元年(ʼ75)5月25日 54歳 桟敷女房

 女人は水のごとし、うつわ物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがわさる。女人はふねのごとし、かじのまかするによるべし。しかるに、女人は、おとこぬす人なれば女人ぬす人となる。おとこ王なれば女人きさきとなる。おとこ善人なれば女人仏になる。今生のみならず、後生もおとこによるなり。しかるに、兵衛のさえもんどのは法華経の行者なり。たといいかなることありとも、おとこのめなれば、法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、また我とこころをおこして、法華経の御ために御かたびらおくりたびて候。
 法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただひとつきて候かたびらなどを法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏おさめさせ給うなり。この人のかたびらは、法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給いぬれば、六万九千三百八十四のかたびらなり。また六万九千三百八十四の仏、一々、六万九千三百八十四の文字なれば、このかたびらもまたかくのごとし。
 たとえば、はるの野の千里ばかりにくさのみちて候わんに、すこしきの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば、一時に無量無辺の火となる。このかたびらも、またかくのごとし。一つのかたびら