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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

法と云うか。その上、建長寺は現に眼前に見えて候。日本国の山寺の敵とも謂いつべきようなれども、事を御威によせぬれば、皆人恐れて云わず。これは今生を重んじて後生は軽んずる故なり。されば、現身に彼の寺の故に亡国すべきこと当たりぬ。日蓮は度々知って日本国の道俗の科を申せば、これは今生の禍い、後生の福いなり。ただし、道隆の振る舞いは日本国の道俗知って候えども、上を畏れてこそ尊み申せ、また内心は皆うとみて候らん。仏法の邪正こそ愚人なれば知らずとも、世間の事は眼前なれば知りぬらん。また一つは、用いずとも、人の骨の舎利と成ることは易く知られ候ことにて候。仏の舎利は、火にやけず、水にぬれず、金剛のかなづちにてうてども摧けず。一くだきして見よかし。あらやすし、あらやすし。
 建長寺は、所領を取られてまどいたる男どもの、入道に成って、四十・五十・六十なんどの時、走り入って候が、用はこれ無く、道隆がかげにしてすぎぬるなり。云うに甲斐なく死しぬれば不思議にて候を、かくしてしばらくもすぎき。または日蓮房が存知の法門を人に疎ませんとこそたばかりて候らめ。あまりの事どもなれば、誑惑顕れなんとす。ただ、しばらくにょうじて御覧ぜよ。根露れぬれば枝かれ、源渇けば流れ尽くると申すことあり。恐々謹言。
  弘安元年戊寅八月十一日    日蓮 花押
 弥源太入道殿