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日本国は六十六箇国・島二つ。その中に仏の御寺は一万一千三十七所、その内に僧尼、あるいは三千、あるいは一万、あるいは一千一百、あるいは十人、あるいは一人候えども、その源は弘法大師・慈覚大師・智証大師、この三大師の御弟子にて候。山の座主、東寺・御室・七大寺の検校、園城寺の長吏、伊豆・箱根・日光・慈光等の寺々の別当等も、皆この三大師の嫡々なり。この人々は三大師のごとく読むべし。
それ、この三大師、法華経と一切経との勝劣を読み候いしには、弘法大師は「法華経最第三」、慈覚・智証は「法華経最第二」、あるいは「戯論」なんどこそ読み候いしか。今またかくのごとし。
ただし、日蓮が眼には、僻目にてや候らん、「法華経は最も第一なり」「皆これ真実なり」と、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏は説いて証明せさせ給えり。この三大師には水火の相違にて候。その末を受くる人々、彼の跡を継いで彼の所領田畠を我が物とせさせ給いぬれば、いかに諍わせ給うとも、三大師の僻事ならばこの科遁れがたくやおわすらんと見え候えども、日蓮は怯弱の者にて候えば、かく申すことをも人御用いなし。されば、今、日本国の人々の我も我も経を読むといえども、申すこと用いるべしとも覚えず候。
これはさて置き候いぬ。御音信も候わねば、いかにと思って候いつるに、御使いうれしく候。御所労の御平愈の由、うれしく候、うれしく候。なお仰せを蒙るべく候。恐々謹言。
九月十七日 日蓮 花押
弥源太入道殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(247)弥源太入道殿御返事 | 文永11年(’74)9月17日 | 53歳 | 北条弥源太 |