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しかるを、いかにとしてかこの功徳をばうべきぞ。楽法梵志・雪山童子等のごとく、皮をはぐべきか、身をなぐべきか、臂をやくべきか等云々。章安大師云わく「取捨宜しきを得て、一向にすべからず」等これなり。正法を修して仏になる行は時によるべし。日本国に紙なくば、皮をはぐべし。日本国に法華経なくて、知れる鬼神一人出来せば、身をなぐべし。日本国に油なくば、臂をもともすべし。あつき紙、国に充満せり。皮をはいでなにかせん。
しかるに、玄奘は、西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教、御入唐ただ二年なり、波濤三千里をへだてたり。これらは男子なり、上古なり、賢人なり、聖人なり。いまだきかず、女人の仏法をもとめて千里の路をわけしことを。竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼の記別にあずかりしも、しらず、権化にやありけん。また在世のことなり。
男子・女人、その性、本より別れたり。火はあたたかに、水はつめたし。海人は魚をとるにたくみなり。山人は鹿をとるにかしこし。女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候え。いまだきかず、仏法にかしこしとは。女人の心を清風に譬えたり。風はつなぐとも、とりがたきは女人の心なり。女人の心をば水にえがくに譬えたり。水面には文字とどまらざるゆえなり。女人をば誑人にたとえたり。ある時は実なり、ある時は虚なり。女人をば河に譬えたり。一切まがられるゆえなり。
しかるに、法華経は「正直に方便を捨つ」等、「皆これ真実なり」等、「質直にして意柔軟なり」等、「柔和質直なる者」等と申して、正直なること弓の絃のはれるごとく、墨のなわをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり。糞を栴檀と申すとも、栴檀の香なし。妄語の者を不妄語と申すとも、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(240)日妙聖人御書 | 文永9年(’72)5月25日 | 51歳 | 日妙 |