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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ては、天台宗にたいしては真言宗の名をけずり、天台宗を骨とし真言をば肉となせるか。
 しかるに、末代に及んで、天台・真言の両宗、中あしゅうなりて、骨と肉と分かれ、座主は一向に真言となる。骨なき者のごとし。大衆は多分は天台宗なり。肉なきもののごとし。仏法に諍いあるゆえに世間の相論も出来して、叡山静かならず、朝下にわずらい多し。これらの大事を内々は存すべし。この法門は、いまだおしえざりき。よくよく存知すべし。
 また、念仏宗は、法華経を背いて浄土の三部経につくゆえに、阿弥陀仏を正として釈迦仏をあなずる。真言師、大日をせんとおもうゆえに、釈迦如来をあなずる。戒においては、大小殊なれども釈尊を本とす。余仏は証明なるべし。諸宗殊なりとも、釈迦を仰ぐべきか。「師子の中の虫、師子をくらう。仏教をば外道はやぶりがたし。内道の内に事いできたりて仏道を失うべし」。仏の遺言なり。仏道の内には小乗をもって大乗を失い、権大乗もて実大乗を失うべし。これらはまた外道のごとし。また小乗・権大乗よりは実大乗・法華経の人々がかえりて法華経をば失わんが大事にて候べし。
 仏法の滅・不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに、異国我が朝をほろぼさんとす。叡山の正法の失するゆえに、大天魔日本国に出来して、法然・大日等が身に入り、これらが身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かえりて叡山三千人に入るゆえに、師檀中不和にして御祈禱しるしなし。御祈請しるしなければ、三千の大衆等、檀那にすてはてられぬ。
 また、王臣等、天台・真言の学者に向かって問うて云わく「念仏・禅宗等の極理は天台・真言とは一か」ととわせ給えば、名は天台・真言にかりてその心も弁えぬ高僧、天魔にぬかれて答えて云わく