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当世の人々、ことに真言宗を不審せんか。
立て申すべきよう。日本国に八宗あり。真言宗大いに分かちて二流あり。いわゆる、東寺・天台なるべし。法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗、たとい定・慧は大乗なれども、東大寺の小乗戒を持つゆえに戒は小乗なるべし。退大取小の者、小乗宗なるべし。叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく。全く真言宗の戒なし。されば、天台宗の円頓戒におちたる真言宗なり等申すべし。しかるに、座主等の高僧、名を天台宗にかりて、一向真言宗によって法華宗をさぐるゆえに、叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか。
問うて云わく、天台法華宗にたいして真言宗の名をけずらるる証文いかん。
答えて云わく、学生式〈伝教大師作なり〉に云わく「天台法華宗年分学生式一首。年分度者の人〈柏原先帝、天台法華宗伝法者を加えらる〉。およそ法華宗天台の年分は弘仁九年より○叡山に住せしめ、一十二年山門を出でず、両業を修学す。およそ止観業の者○およそ遮那業の者」等云々。顕戒論縁起の上に云わく「新法華宗を加えんことを請う表一首。沙門最澄○華厳宗に二人、天台法華宗に二人」等云々。また云わく「天台の業に二人〈一人は大毘盧遮那経を読ましめ、一人は摩訶止観を読ましむ〉」。これらは天台宗の内に真言宗をば入れて候いてこそ候めれ。嘉祥元年六月十五日の格に云わく「右、入唐廻請益・伝灯法師位・円仁の表に称わく『伏して尋ぬれば、天台宗の本朝に伝わることは○延暦二十四年○二十五年、特り天台の年分度者二人を賜う。一人は真言の業を習い、一人は止観の業を学ぶ○しからば則ち、天台宗の止観と真言との両業は、これ桓武天皇の崇建するところなり』と」等云々。叡山におい
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(237)法門申さるべき様の事 | 文永6年(’69) | 48歳 | 三位房 |