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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ば、ただいなかことばにてあるべし。なかなかあしきようにて有るなり。「尊成」とかけるは、隠岐法皇の御実名か。かたがた不思議なるべし。
 かつ、しられて候ように、当世の高僧、真言・天台等の人々の御いのりは叶うまじきよし、ぜんぜんに申し候上、今年鎌倉の真言師等は去年より変成男子の法行わる。隆弁なんどは自歎することかぎりなし。七・八百余人の真言師、東寺・天台の大法・秘法尽くして行ぜしが、ついにむなしくなりぬ。禅宗・律僧等、また一同に行ぜしかどもかなわず。日蓮が「叶うまじ」と申すとて、「不思議なり」なんどおどし候いしかども、皆むなしくなりぬ。小事たる今生の御いのりの叶わぬをもってしるべし。大事たる後生叶うべしや。
 真言宗の漢土に弘まる始めは、天台の一念三千を盗み取って真言の教相と定めて理の本とし、枝葉たる印・真言を宗と立て、宗として天台宗を立て下す条、謗法の根源たるか。また華厳・法相・三論も、天台宗日本になかりし時は謗法ともしられざりしが、伝教大師円宗を勘えいだし給いて後、謗法の宗ともしられたりしなり。当世、真言等の七宗の者、しかしながら謗法なれば、大事の御いのり叶うべしともおぼえず。天台宗の人々は、我が宗は正なれども邪なる他宗と同ずれば、我が宗の正をもしらぬ者なるべし。譬えば、東に迷う者は対当の西に迷い、東西に迷うゆえに十方に迷うなるべし。
 外道の法と申すは、本、内道より出でて候。しかれども、外道の法をもって内道の敵となるなり。諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学として、しかも天台宗を失うなるべし。天台宗の人々は、我が宗は実義とも知らざるゆえに、我が宗のほろび我が身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて我