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また俗の難に云わく「いかに、さらば御房は念仏をば申し給わぬ」。
答えて云わく、伝教大師は二百五十戒をすて給いぬ。時にあたりて法華円頓の戒にまぎれしゆえなり。当世は諸宗の行多けれども、時にあたりて念仏をもみなして法華経を謗ずるゆえに、金石迷いやすければ唱え候わず。例せば、仏十二年が間、常楽我浄の名をいみ給いき。外典にも寒食のまつりに火をいみ、あかき物をいむ。不孝国と申す国をば、孝養の人はとおらず。これらの義なるべし。
いくたびも選択をばいろえずして、まずこうたつべし。
また「御持仏堂にて法門申したりしが面目」なんどかかれて候こと、かえすがえす不思議におぼえ候。そのゆえは、僧となりぬ、その上一閻浮提にありがたき法門なるべし。たとい等覚の菩薩なりとも、なにとかおもうべき。まして梵天・帝釈等は、我らが親父・釈迦如来の御所領をあずかりて、正法の僧を養うべき者につけられて候。毘沙門等は四天下の主、これらが門まぼり、また四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。その上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、ただ島の長なるべし。長なんどにつかえん者どもに「召されたり」「上」なんどかく上、「面目」なんど申すは、かたがたせんずるところ日蓮をいやしみてかけるか。総じて、日蓮が弟子は、京にのぼりぬれば、始めはわすれぬようにて、後には天魔つきて物にくるう。しょう房がごとし。わ御房もそれていになりて、天のにくまれかぼるな。のぼりていくばくもなきに、実名をかうるじょう、物ぐるわし。定めてことばつき、音なんども京なめりになりたるらん。ねずみがかわほりになりたるように、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず、京法師にもにず。しょう房がようになりぬとおぼゆ。言を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(237)法門申さるべき様の事 | 文永6年(’69) | 48歳 | 三位房 |