1651ページ
しかるに、日蓮末代に居し、ほぼこの義を疑う。遠きを尊び近きを賤しみ、死せるを上げ生けるを下すが故に、当世の学者等これを用いず。たとい堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘・比丘尼等も、愚癡の失によって、小乗経を大乗経と謂い、権大乗経を実大乗経なりと執する等の謬義出来す。大妄語・大殺生・大偸盗等の大逆罪の者なり。愚人はこれを知らずして智者と尊ぶ。
たとい世間の諸戒これを破る者なりとも、堅く大小・権実等の経を弁えば、世間の破戒は仏法の持戒なり。涅槃経に云わく「戒において緩なる者は名づけて緩となさず、乗において緩なる者は乃ち名づけて緩となす」等云々。法華経に云わく「これを戒を持つと名づく」等云々。重きが故にこれを留む。事々、霊山を期す。恐々謹言。
七月二日 日蓮 花押
大学三郎殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(235)大学三郎殿御書 | 建治元年(’75)7月2日 | 54歳 | 大学三郎 |