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師・人師の添言を捨てて専ら経文を勘うるに、大日経一部六巻ならびに供養法の巻一巻三十一品これを見聞するに、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗との四乗これを説く。その中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗なり、仏乗は実には大乗なり。法華経に及ばざるの上、華厳・般若にも劣り、ただ阿含と方等との二経なり。大日経の極理は、いまだ天台の別教・通教の極理にも及ばざるなり。
弘法大師、延暦二十三年に入宋し、大同二年に帰朝す。三箇年の間、恵果和尚に値って真言の秘教を学習し、帰朝の後、十住心・二教論これを注して世間に流布す。釈迦牟尼仏ならびに大日経二仏の所説の勝劣これを定む。第一大日経・第二華厳経・第三法華経。浅きより深きに至る義なり。「華厳経は法華経に勝る」とは、南北の二義を取るなり。また華厳宗の義なり。南北ならびに弘法大師は、無量義経・法華経・涅槃経の三経を見ざる愚人なり。仏既に分明に華厳経と無量義経との勝劣これを説く。何ぞ聖言を捨てて南北の凡謬に付かんや。近きをもって遠きを察するに、はたまた大日経と法華経との勝劣これを知らず。
大日経には「四十余年」の文これ無く、また「已今当」の言これを削る。二乗作仏・久遠実成これ無し。法華経と大日経との勝劣これを論ぜば、民と王と、石と珠との勝劣・高下これなり。しかるに、安然和尚、ほぼこれを顕す。しかりといえども、ほぼ華厳経と法華経との勝劣はこれを明らむるに似たれども、法華・大日経の勝劣、これに闇くして闇と漆とのごとくなり。慈覚大師は、本、伝教大師に稟くといえども、本を捨てて末に付き、入唐の間、真言家の人々に誑惑せらるるのあいだ、また「大日経と法華経と理同事勝」云々。賢きに似たれども、ただ善無畏の僻見を出でざるのみ。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(235)大学三郎殿御書 | 建治元年(’75)7月2日 | 54歳 | 大学三郎 |