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だ六道を明かすはこれなり。三論宗は、天台宗已前に天竺よりこれを渡す。八界を立てて十界を明かさず。法相宗は、また天竺の宗なり。天台已後に唐の太宗の世にこれを渡す。また八界を立つ。大乗たりといえども、五性各別を立てて、無性有情は永く成仏せずとこれを立つ。ほとんど外道の法に似たり。自他宗の嘆きなり。
華厳宗・真言宗の両宗は天台已後にこれ有り。華厳宗は唐の則天皇后の御宇にこれを立つ。真言宗は玄宗の時、善無畏三蔵これを渡す。ただし天竺に真言宗の名これ無し。無畏三蔵、大日経をもって宗となすの故に、みだりに天竺の宗と称するか。この二宗共に十界を立つ。ただし天台宗已後なり。智者大師の巧智を偸盗して自身の才財と号するか。
仏説のごとくこれを勘うれば、法華経の外、華厳経・大集経・般若経・大日経・深密経等の諸経は、ただ小衍相対なり。ただ法華経ばかりに限って、已今当をもって眷属の修多羅となす。しかりといえども、天台已前の諸師、法華経等の一切の大乗経を小衍相対をもってこれを釈す。王臣の差別無く、上下これを混ず。仏法いまだ顕れず、愚癡の失これ有り。天台已後に、諸宗、小衍相対の経々をもって権実相対これを定む。天台の智これを盗めり。日月に背いて灯炷に向かい、丘塚を華・恒に比する、これなり。仏は十八界、修羅は十九界。天台は四菩薩、真言は五菩薩。天台は九識・十識、真言は十識・十一識。しかるを、天台の学者これに誑惑せられ、ことごとく実義なりと思い、「法華経は釈尊の所説にて民の万言のごとく、大日経は天子の鳳文にて王の一言のごとし」等云々。
善無畏三蔵、事を天竺に寄せ、「法華経と大日経と理同事勝なり」。これ一の謬言なり。日蓮は論
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(235)大学三郎殿御書 | 建治元年(’75)7月2日 | 54歳 | 大学三郎 |