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すら、この人の功徳をばしろしめさず。仏の御智慧のありがたさは、この三千大千世界に七日、もしは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐しまし候なるが、ただ法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知ろしめさずと見えたり。いかにいわんや、我ら逆罪の凡夫の、この功徳をしり候いなんや。
しかりといえども、如来の滅後二千二百余年に及んで、五濁さかりになりて年久し。事にふれて、善なる事ありがたし。たとい善を作す人も、一の善に十の悪を造り重ねて、結句は小善につけて大悪を造り、心には大善を修したりという慢心を起こす世となれり。しかるに、如来の世に出でさせ給いて候いし国よりしては二十万里の山海をへだてて東によれる日域辺土の小島にうまれ、五障の雲厚うして三従のきずなにつながれ給える女人なんどの御身として、法華経を御信用候は、ありがたしなんどとも申すに限りなく候。およそ一代聖教を披き見て、顕密二道を究め給えるようなる智者・学匠だにも、近来は法華経を捨てて念仏を申し候に、いかなる御宿善ありてか、この法華経を一偈一句もあそばす御身と生まれさせ給いけん。
されば、この御消息を拝し候えば、優曇華を見たる眼よりもめずらしく、一眼の亀の浮き木の穴に値えるよりも乏なきことかなと、心ばかりは有りがたき御事に思いまいらせ候あいだ、一言一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやとはげみ候えども、ただ恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすがごとく、短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらすことにや候らんと、いたみ思い候ばかりなり。しかりといえども、貴命もだすべきにあらず。一滴を江海に加え、爝火を日月に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(234)月水御書 | 文永元年(’64)4月17日 | 43歳 | 大学三郎の妻 |