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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

たりけるが今生にむくうなるべし。このことは、いかなる山の中、海の上にてものがれがたし。不軽菩薩の杖木の責めも、目犍尊者の竹杖に殺されしも、これなり。なにしにか歎かせ給うべき。
 ただし、横難をば忍ぶにはしかじと見えて候。この文御覧ありて後は、けっして、百日が間、おぼろけならではどうれいならびに他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず。主のめさん時は、ひるならばいそぎまいらせ給うべし。夜ならば、三度までは頓病の由申させ給いて、三度にすぎば、下人また他人をかたらいて、つじをみせなんどして御出仕あるべし。
 こうつつませ給わんほどに、むこ人もよせなんどし候わば、人の心またさきにひきかえ候べし。かたきを打つ心とどまるべし。申させ給うことは御あやまちありとも、左右なく御内を出でさせ給うべからず。ましてなからんには、なにとも人申せ、くるしからず。
 おもいのままに入道にもなりておわせば、さきざきならばくるしからず、また身にも心にもあわぬことあまた出来せば、なかなか悪縁度々来るべし。このごろは、女は尼になりて人をはかり、男は入道になりて大悪をつくるなり。ゆめゆめ、あるべからぬことなり。身に病なくとも、やいとを一・二箇所やいて、病の由あるべし。さわぐことありとも、しばらく人をもって見せおおせさせ給え。
 事々くわしくはかきつくしがたし。この故に法門もかき候わず。御経のことは、すずしくなり候いて、かいてまいらせ候わん。恐々謹言。
  建治二年丙子七月十五日    日蓮 花押
 四条金吾殿御返事