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らざる者は多く横死に遭う」等云々。観仏相海経に云わく「これ阿鼻の因なり」等云々。今既に孝養の志あつし。定めて天も納受あらんか〈これ二〉。
御消息の中に申しあわさせ給うこと、くわしく事の心を案ずるに、あるべからぬことなり。
日蓮をば日本国の人あだむ。これはひとえにさがみどののあだませ給うにて候。ゆえなき御政なれども、いまだこの事にあわざりし時よりかかる事あるべしと知りしかば、今さらいかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずとおもい候えば、この心のいのりとなりて候やらん、そこばくのなんをのがれて候。いまは事なきようになりて候。日蓮がさどの国にてもかつえしなず、またこれまで山中にして法華経をよみまいらせ候は、たれかたすけん。ひとえにとのの御たすけなり。また殿の御たすけはなにゆえぞとたずぬれば、入道殿の御故ぞかし。あらわにはしろしめさねども、定めて御いのりともなるらん。こうあるならば、かえりてまた、とのの御いのりとなるべし。父母の孝養も、また彼の人の御恩ぞかし。かかる人の御内をいかなる事有ればとてすてさせ給うべきや。かれより度々すてられんずらんは、いかがすべき、またいかなる命になる事なりとも、すてまいらせ給うべからず。
上にひきぬる経文に「不知恩の者は横死有り」と見えぬ。孝養の者はまた横死あるべからず。鵜と申す鳥の食する鉄はとくれども、腹の中の子はとけず。石を食する魚あり。また腹の中の子はしなず。栴檀の木は火に焼けず。浄居の火は水に消えず。仏の御身をば三十二人の力士火をつけしかどもやけず。仏の御身よりいでし火は、三界の竜神雨をふらして消ししかどもきえず。殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり。悪人にやぶらるることかたし。もしやの事あらば、先生に法華経の行者をあだみ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(204)四条金吾釈迦仏供養事 | 建治2年(’76)7月15日 | 55歳 | 四条金吾 |