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に三つのことわりあり。一仏に三身の徳まします。
この五眼・三身の法門は、法華経より外には全く候わず。故に、天台大師云わく「仏、三世において等しく三身有り。諸教の中においてこれを秘して伝えず」云々。この釈の中に「諸教の中において」とかかれて候は、華厳・方等・般若のみならず、法華経より外の一切経なり。「これを秘して伝えず」とかかれて候は、法華経の寿量品より外の一切経には、教主釈尊秘して説き給わずとなり。されば、画像・木像の仏の開眼供養は、法華経・天台宗にかぎるべし。
その上、一念三千の法門と申すは、三種の世間よりおこれり。三種の世間と申すは、一には衆生世間、二には五陰世間、三には国土世間なり。前の二つはしばらくこれを置く。第三の国土世間と申すは、草木世間なり。草木世間と申すは、五色のえのぐは草木なり。画像これより起こる。木と申すは、木像これより出来す、この画・木に魂魄と申す神を入るることは、法華経の力なり、天台大師のさとりなり。この法門は、衆生にて申せば即身成仏といわれ、画・木にて申せば草木成仏と申すなり。「止観の明静なることは、前代にいまだきかず」とかかれて候と、「無情仏性は耳を惑わし心を驚かす」等とのべられて候は、これなり。この法門は、前代になき上、後代にもまたあるべからず。たとい出来せば、この法門を偸盗せるなるべし。
しかるに、天台以後二百余年の後、善無畏・金剛智・不空等、大日経に真言宗と申す宗をかまえて、仏説の大日経等にはなかりしを、法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土・日本の末学を誑惑せしかば、皆人このことを知らず、一同に信伏して今に五百余年な
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(204)四条金吾釈迦仏供養事 | 建治2年(’76)7月15日 | 55歳 | 四条金吾 |