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動あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随って天変の大小あり。地夭もまたかくのごとし。今、日本国、上一人より下万民にいたるまで、大悪心の衆生充満せり。この悪心の根本は、日蓮によりて起これるところなり。
守護国界経と申す経あり。法華以後の経なり。阿闍世王、仏にまいりて云わく「我が国に大旱魃・大風・大水・飢饉・疫病、年々に起こる上、他国より我が国をせむ。しかるに、仏の出現し給える国なり、いかん」と問いまいらせ候いしかば、仏答えて云わく「善きかな、善きかな。大王能くこの問いをなせり。汝には多くの逆罪あり。その中に、父を殺し、提婆を師として我を害せしむ。この二罪大いなる故、かかる大難来ること、かくのごとく無量なり。その中に、我が滅後に末法に入って提婆がようなる僧、国中に充満せば、正法の僧一人あるべし。彼の悪僧等、正法の人を流罪・死罪に行って、王の后乃至万民の女を犯して謗法者の種子国に充満せば、国中に種々の大難おこり、後には他国にせめらるべし」ととかれて候。今の世の念仏者かくのごとく候上、真言師等が大慢、提婆達多に百千万億倍すぎて候。
真言宗の不思議あらあら申すべし。胎蔵界の八葉の九尊を画にかきて、その上にのぼりて、諸仏の御面をふみて灌頂と申すことを行うなり。父母の面をふみ、天子の頂をふむがごとくなる者、国中に充満して、上下の師となれり。いかでか国ほろびざるべき。
このこと、余が一大事の法門なり。またまた申すべし。さきにすこしかきて候。いとう人におおせあるべからず。びんごとの心ざし、一度二度ならねば、いかにとも。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(202)瑞相御書 | 建治元年(’75) | 54歳 | (四条金吾) |