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諸仏の世界、地皆六種に震動す。余の瑞もまたまたかくのごとし。この神力品の大瑞は、仏の滅後正像二千年すぎて、末法に入って法華経の肝要のひろまらせ給うべき大瑞なり。経文に云わく「仏滅度して後に、能くこの経を持たんをもっての故に、諸仏は皆歓喜して、無量の神力を現じたもう」等云々。また云わく「悪世末法の時」等云々。
疑って云わく、夫れ、瑞は吉凶につけて、あるいは一時二時、あるいは一日二日、あるいは一年二年、あるいは七年十二年か。いかんが二千余年已後の瑞あるべきや。
答えて云わく、周の昭王の瑞は一千十五年に始めてあえり。訖利季王の夢は二万二千年に始めてあいぬ。あに二千余年のことの前にあらわるるを疑うべきや。
問うて云わく、在世よりも滅後の瑞大なる、いかん。
答えて云わく、大地の動ずることは人の六根の動くによる。人の六根の動きの大小によって大地の六種も高下あり。爾前の経々には、一切衆生、煩悩をやぶるようなれども、実にはやぶらず。今、法華経は、元品の無明をやぶるゆえに大動あり。末代はまた在世よりも悪人多々なり。かるがゆえに、在世の瑞にもすぐれてあるべきよしを示現し給う。
疑って云わく、証文いかん。
答えて云わく、「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」等云々。去ぬる正嘉・文永の大地震・大天変は、天神七代・地神五代はさておきぬ、人王九十代二千余年が間、日本国にいまだなき天変地夭なり。人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらわし、地に帝釈の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(202)瑞相御書 | 建治元年(’75) | 54歳 | (四条金吾) |