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また女房の御いのりのこと、法華経をば疑いまいらせ候わねども、御信心やよわくわたらせ給わんずらん。如法に信じたるようなる人々も、実にはさもなきこととも、これにて見て候。それにも知ろしめされて候。まして女人の御心、風をばつなぐともとりがたし。御いのりの叶い候わざらんは、弓のつよくしてつるよわく、太刀・つるぎにてつかう人の臆病なるようにて候べし。あえて法華経の御とがにては候べからず。よくよく念仏と持斎とを我もすて、人をも力のあらんほどはせかせ給え。譬えば左衛門殿の人ににくまるるがごとしと、こまごまと御物語り候え。いかに法華経を御信用ありとも、法華経のかたきを、とわりほどにはよもおぼさじとなり。
一切のことは、父母にそむき国王にしたがわざれば、不孝の者にして天のせめをこうぶる。ただし、法華経のかたきになりぬれば、父母・国主のことをも用いざるが、孝養ともなり、国の恩を報ずるにて候。
されば、日蓮はこの経文を見候いしかば、父母手をすりてせいせしかども、師にて候いし人かんどうせしかども、鎌倉殿の御勘気を二度までかぼり、すでに頸となりしかども、ついにおそれずして候えば、今は日本国の人々も道理かと申すへんもあるやらん。日本国に国主・父母・師匠の申すことを用いずして、ついに天のたすけをかぼる人は、日蓮より外は出だしがたくや候わんずらん。これより後も御覧あれ。日蓮をそしる法師原が日本国を祈らば、いよいよ国亡ぶべし。結句、せめの重からん時、上一人より下万民まで、もとどりをわかつやっことなり、ほぞをくうためしあるべし。後生はさておきぬ、今生に法華経の敵となりし人をば梵天・帝釈・日月・四天罰し給いて、皆人にみこりさせ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(200)王舎城事 | 文永12年(’75)4月12日 | 54歳 | 四条金吾 |